■2002/10/16

The Mark Has Made

地下鉄の駅構内をゆるりと歩いていましたところ、後ろから数人の学生が、電車がもうすぐ来るから、と言いながら走り過ぎ去りまして。僕は急ぐつもりもなく、先ほどと歩く速度を変えないで、ゆるりと改札を通ってホームに着きましたところ、先の学生達が電車を待っているのです。しばらくしまして、電車が到着してその学生達と同じ電車に乗車したのです。今日最も、心躍った瞬間でした。

学校で数人の友人とサッカーを観戦していまして、後半ロスタイムに実況をしていたアナウンサーの人が、同点でいいジャマイカ、と言いました。僕はこのフレーズを聞きまして、このアナウンサーは狙っていたと思いましたので、どう思うと友人に尋ねたところ、考え過ぎという答えが返ってきまして。そのフレーズについてしばらく議論を交わしたあとに、そんなことどちらでもいいジャマイカ、なんてってまとめようと考えていたのですけれども、まとめる前にその議論は収束して、言いそびれてしまいましたのでここに記しました。このようなことを記すのも、またありジャマイカと思いましたので。


■2002/10/17

As Black Pants Make Cat Hairs Appear

駅構内から最近、冷たくなってきた外気にすぐに触れたいと思って、自宅まで遠回りになるのを承知で、いつもと違う出口へと足を運んだのは、ウォークマンから流れてくる音楽を少しだけでも気持ち良く聴くため。

このように書くと、良いイメージになりますけれども、言い換えれば、ビールを美味しく飲むために必要以上にサウナに閉じこもっている、脂の乗り切った年齢のサラリーマンと変わりはないわけで。


■2002/10/20

Blind

皆で遊びに行こうといって、アルコールを摂取、カラオケという選択肢しかない、というのはつまらないといつも思っています。金銭を使う遊びというものは、遊ぶということではないのではないか、そう思うのです。

金銭を使う遊びは、僕達が金銭に遊ばされている、言い換えれば僕達が金銭に踊らされているのではないか、そう思うのです。遊ばされ踊らされるために、金銭が必要で、そのためには働かなければならない。金銭のために働かされ、遊ばされ、踊らされ、また遊ぶために金銭が必要で。本当の遊びとは、遊びを考えることからが遊びだったのではないのでしょうか、少なくとも子供の時はそれで満足だったはず。

このような現実逃避もまた、遊びにはならないでしょうか。


■2002/10/22

Vitamin

サプリメントを飲み始めました。食事をするだけではどうしても足りなくなるような栄養素を、カプセルで摂取するのです。以前まで僕は、食事にどうしても偏りが出てしまう人間、すなわち一人暮らしなどの理由で外食中心の食生活を行っている人間、だけがサプリメントを飲むものなのだろうと思っていまして、だから口を開けて待っているだけで食事が与えられる環境にいる僕みたいな人間がサプリメントを口にするのは、仕方なくサプリメントを摂取している人に対して失礼である、そのような感情を持っていたのです。サプリメントなんていうものは飲まなければならない人間だけが飲むもので、必要の無い人間が飲むのは望ましいことではない、そう思っていたのです。

ある時に、水溶性の栄養素、身体に蓄積で気ない栄養素があるということを知ったので、その栄養素はサプリメントで摂取しても良いかも、というような軽い気持ちでサプリメントを購入、ここ一週間ほど飲みつづけているという感じで。

飲んでみると意外と良いのです。体の調子が良くなったような気がします。これはこれで、新しい食事の形だと思えば、デザートだと思えば、納得できないこともないと思いました。このように自分に都合の良いように物事を考える、これを直すにはどのような種類のサプリメントを摂取したら良いのでしょうか。サプリメントには多くの種類があって、良く分かりません。できれば頭の回転が早くなるサプリメントや、精神をハイにしてくれるようなサプリメントもあればうれしいのですけれども。


■2002/10/23

The Dance

もしかすると、僕はとんでもない発見をしてしまったのではないのだろうか、と思うのです。僕が気付かなければ、それはこの世には存在しなかったことになるかもしれないのです。言い換えれば、僕がそれをこの世に誕生させたということになるかもしれないのです。

僕は音楽を聴きながら歩いていたのです、辺りもすっかり暗くなってしまった時間に。ウォークマンのリモコンを弄っていたのですけれども、いつも聴いているアルバムなのに、聴いたことの無いメロディが流れ始めたのです。何度も聴いたアルバムなのに、聴き逃してたのかなあ、こういうこともあるのだなあと思ってしばらく聴いていたのですけれども、聴いたことのないメロディはずっと流れたままなのです。

どう考えてもおかしいと思いまして、辺りはますます暗くなっていく中、ウォークマンのリモコンの青緑色の発光を頼りに液晶画面を見たのです。

【001 -01:04】

僕は震えました。驚いたことに、シークレットトラックが一曲目の始まる前に入っているのです。普通のシークレットトラックというものは、アルバムの最後の曲のあとに収録されているために、アルバムが終了して、そのままにしておけば聴けるのですけれども、僕が今日発見しましたタイプのシークレットトラックは、一曲目の前ということで、CDの性質上、【001 00:00】から始まるものなので、人為的な操作、この場合はCDの巻き戻しをしなければいけないので、発見するのは困難であって、普通の操作をしていれば見つけることが出来ません。だから僕が初めて発見したのではないだろうか、と思いましたので、ここに書いてみたわけなのです。

このシークレットトラック、誰もが知っているならすごい恥ずかしいことを書いているわけですけれども。


■2002/10/24

Pusher Jones

『GO』を見ました。窪塚洋介が主演の在日朝鮮人の話、っていうのは超話題作なので書くまでもないのかもしれません。

この映画は登場人物がものすごく魅力的。主人公の父親役の山崎努は、登場シーンから息子である主人公を警察署で死ぬほど殴りつけて、鑑別所に送られずに済んだなとか言っちゃう父親で、登場するたびにカッコ良い台詞を言い放って、けれども母親にものすごく弱かったりで存在感がすごいですし、民族学校の先輩である山本太郎は、数少ない出演シーンでもしっかり映像を頭に残してくれます。萩原聖人は久しぶりに見たけれども、気が弱いけれど優しさの滲み出る警察官といった、彼らしい役割で、すごく好感が持てました。それと、タクシーの運転手の大杉漣、僕は理由はわからないのですけれども大杉漣という役者が大好きでして、何の映画に出てるなどということも覚えてないのですけれども、彼が出てくるだけでどうしても笑顔になってしまうのです。

それから主人公役の窪塚洋介。僕は、窪塚洋介のどこに魅力を感じるかといえば、少々狂っている感じの演技の部分に魅力を感じるのです。だからこの映画での窪塚洋介の演技で気に入ったところと言えば、山本太郎とのシーンであったり、場違いなような大声を発したりするシーンなのです。恋人とのシーンの演技などは悪くは無いと思いますけれども、このシーンなら魅力的な演技をする役者は他にも多くいるかなと。僕は窪塚洋介は狂人の役割を演じるのが良い、と思います。

最後に。邦画は台詞が直接日本語で伝わってくるので、台詞を味わうには邦画のほうが断然良い、と思いました。字幕で感動する台詞を書かれていても、余程のことでないと心を揺らされませんから。ということなので、心揺さぶる台詞を朝鮮語で言うシーンがあるのですが、そこはいただけませんでした。


■2002/10/27

Pusher Jones

ゆったりとした時間の流れ、休日の一日。自宅で温かいミルクティーを飲みながら、英語で書かれた論文を読んでいました。実は友達からサッカーに誘われたのですけれども、月曜日までに論文を読まなければいけないのと、昨日の疲れが抜けきれてないことから断ってしまったのです。

というのも、昨日はバーベキューとクラシックのコンサートというイベントがあったからで。ありえない組み合わせでございますけれども、僕は実際に昨日の一日で両方ともこなしたのです、アウトドアもインドアも。それでも昨日は雨が降っていましたので、アウトドア向きの一日では無かったのですけれども。

早朝に起床、数台の自動車に荷物を積んで、目的の場所に移動。それからバーベキューの用意をして、談笑をしながらの食事をしました。後片付けをしてから、さっと早朝の集合場所であったところまで帰ってきまして、その足でコンサートホールへ向かったのです。

コンサートホールに着きますと、少し居心地が悪く感じました。バーベキューの帰りなので、場に相応しくない汚らしい様相をしていましたし、焼肉を食べに行った時のようなにおいもしていましたから。演奏中は、早朝に起床しましたので、うとうと眠ってしまいました。まったく場違いな人間でございました。

といったことがあったので、今日は自宅でおとなしくしていたのです。こんな感じの日記を書いているうちに今日という一日が終わろうとしています。今日一日、自宅で過ごしてみまして、僕はアウトドアよりもインドアの方が良い、と思ったのです。


■2002/10/30

You Know Your Right

大阪の中心街を歩いていると、少し先のところで外国人の老夫婦が困っているようでした。なにやら一枚の紙と地下鉄の切符売場の路線図を見比べています。

僕はその風景を見ながらそちらの方に向かって歩いていきました、目的の電車の駅がその老夫婦がいる先にありましたから。そう歩いているとおじいさんと目が合ってしまったのです。だけれどもイヤホンをつけて音楽を聴いているような状態でしたので道を尋ねられることなどないと高を括っていたのです。けれども。

「ソーリー。ヨ…バシ?」

ああ。尋ねられた。道を尋ねられてしまいました。僕はどう対応してよいか分からなかったのですけれども、力になってあげたいと思ったので、英語とも日本語ともつかない言葉をなにやら唱えながら、老夫婦の持つ紙を見せていただきました。

「おー、淀屋橋か。ええっと、ヒアイズウメダ。ディスブルーラインオブサブウェイ…。うー。」

「…ヒア、オオサカコー。」

「あー、大阪港に行きたいんですね。淀屋橋を通ってということですよね。それだと、ユーシュッドライドサブウェイフロムニシウメダ…。」

「ニシウメダ?」

「あー、ここは御堂筋線だから梅田か。えっとちょっと待ってくださいね。ウェイト、プリーズウェイト、アリトル。」

それで僕は西梅田の駅までどのように行ったら良いのかを、地下街にある天井付近から垂れている道を示す案内板を見ながら考えましてから、

「ゴーストレイト。ターンレフト。」

なんて簡単な説明をしました。分かってくれたかどうかわからりませんでしたけれども、

「オーサンキュー。ドモアリガト。」

というような言葉を頂きました。これらの言葉のキャッチボールを交わしまして老夫婦と別れた後に、なんとか少しは老夫婦の助けになったかもと思ったと同時に、もし解釈が間違っていたら悪いことをしてしまった、とか「カモンウィズミー」なんか言っちゃって西梅田の駅まで連れて行くべきだったとか思いました。この体験から、いつかはやらなければいけないと思いつつも避けてきた英語を勉強しなければいけないと思ったのです。外国人と何の抵抗もなく話すことができて、さらっと会話できたらいい気分だろうなと思ったからです。会話にさえなっていなかった今日の出来事でさえ少しだけ良い気分になったのですから。

老夫婦と別れてから、今日本屋で買ったばかりの町田康の夫婦茶碗という文庫本を読みながら学校へ行って、食堂で和風きのこうどんを食べました。どうやら外国語を学ぶのは当分先送りになりそうです。